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2007年4月13日 (金)

海部城

 ネット上の海部氏の解説もそうですが、海部町史を基本資料にした本は、みな、海部川河口にある城山にあった海部城は、落城の数年前に築かれたもので、海部氏が居城にした期間は短いように書いてあります。

 でも、海部町史ができたのは、私がいろいろ見聞きした後にできたものです。私は、海部城は短命だった印象ではありません。

 以下は小学校校歌です。1番、南海の島阿波の国、太平洋の波寄する、風光明媚の地を占めて、立てり我らの学び舎は。2番、海部の城に苔むして、盛衰栄枯様々に、移りし世よを物語る、歴史の跡に顧みて。3番、高鳴る意気を鞆の音に、誠を奥の名に込めて、浦わを巡る水深く、広く進まん我が友よ。

 中学校校歌。清く明るく健やかに、伸びよと仰ぐ海部城。その城山の緑濃き、山懐に抱かれて、ーーー。

 海部町史ができる前に書かれた校歌は、どちらも、海部の城は、すぐ側の城山にある、と、歌っているのです。江戸初期に壊されたはずなのに、頑丈そうな城がある感じの歌です。

 城山のふもとにある中学校の校庭の名前は「馬谷」で、昔馬場だったという伝承があります。同じくふもとには「射場」という方が住んでおられる。

 江戸時代の代官所系の名前なのか、それとも中世海部氏系の名前なのか。雰囲気では戦国時代って感じです。

 ずっと川上の吉田や吉野に城があったなんて、信じられないです。1445年の兵庫入港記録から考えても、海部氏は港を押さえていたとしか思えない。

 海部公民館報118号に、阿波古城諸誌には1501~3年頃に鞆城とあり、それ以前は島城と呼ばれていた、なんて、まるで矛盾した記述も出てきたりします。

 城の場所もはっきりさせる気がないみたいで残念です。

 突然、海部刀があります、なんて出すよりも、全体の話をごまかすのをやめて、すっきり説明がつくように努力する時代ではないでしょうか。

 具合が悪いことがあっても、今みたいに適当にできるくらいなら、何とでもなるでしょうに。

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